音の格言

イタリア在住のヴァイオリン弾きのブログです

昔からなりたかったもの

三歳のころ、保育園で大きくなったら何になりたいかという事をテープに残した事があったそうだ。

一度高校生くらいの頃に母がどこからか見つけてきてその録音を二人で聞いた事がある。他の同じ年の園児の子達はお花屋さんやお菓子屋さん、中にはお姫様になりたいなんて子供らしい可愛い夢を語っていて微笑ましい。

私はその当時何になりたかったか。少なくとも三歳でヴァイオリンを始めてからほとんど揺るがなかった夢なので何となく私は想像できたがやはりその通りだった。

 

当時大阪に住んでいたのでバリバリの関西弁で

「大きくなったらヴァイオリンの先生になりたいです」

なんて言って言っていた。

 

そう、私は三歳の時からずっとヴァイオリンの先生になりたかった。

この保育園での録音は全くと言っていいほど記憶になかったが人に訊かれるたびにヴァイオリンの先生と言っていたのは忘れてはいない。

実際この夢を叶えたというかヴァイオリンを教えるようになったのは19歳の頃だった。

そこからもうすでに7年程経過している。

 

イタリアに来る前に音楽教室で教えていて、その後イタリアに来てから音楽院で室内楽のアシスタントとして特にヴァイオリンやヴィオラの子達に技術的なアドバイスをしていた。その時にたまたま私のアドバイスを気に入ってくれて個人的にレッスンに来てくれた子がいて、そこから私は何人かレッスンをするようになった。

 

日本の音楽教室で教えていた時は定期的だったが初めて間もない小さい子や趣味の人だった。勿論小さい子は熱心な子は本当に成長が早い。

しかし本当に練習を頑張れる子、あんまり練習が好きじゃない子だっていて、ただヴァイオリンを上達するという事が目的というよりかはお稽古事を通して音楽を楽しんだり練習するという先生との約束事を守るだとか、人として成長する糧の一つと捉えるべき面が多い。

趣味の人に対しても上手くなるだけでなく弾くことの楽しさやコミュニケーションをとっていくなかで人生がより豊かなものになる手助けをするべき面がある。まだ二十歳そこそこの経験の浅かった私はその事がわかっているつもりでやはり自分目線でかなり考えていた気がする。

 

今は音楽院に通っている子たちで、そのほとんどはプロを目指している。

勿論学校の試験の量は多いし他にもオーディションや演奏会等で弾くために様々な曲を用意する。

現在も私のヴァイオリンの先生のアシスタントの様な感じで先生の生徒をレッスンしている。

 

そんな中で、イタリアに来て私に初めて個人的にレッスンしてほしいと言って来てくれた女の子がいた。勿論彼女はイタリア人で私はとんでもなく拙いイタリア語しか話せない。それでもこれまで技術的な問題の解決のヒントを教えてくれたからテクニックの事を教えてほしいと言ってくれ、そこから現在に至るまで不定期ではあるが特に音楽院が長期休みになる期間に私の元へ来る。

私自身、イタリアに来てからの三年で多くの事を学んだ。

きっと少し前の私ならこんなレッスンはしなかっただろうというレッスンをするようにもなったと思う。

もともと基礎やテクニックは絶対揺るぎない必要要素だったから日本にいたころからそれは大切にしてきたし、今でも変わらない。

それでもイタリアで新しく学んだ練習法だったり考え方だったり、最も大きいのは音楽に対してどう考えアプローチするか考えるヒントを貰った事だろう。

 

基本的に私の元に来てくれる子達はテクニックや基礎を見てほしいという。何せ多くのイタリア人の先生はテクニックをじっくりレッスンする先生が多くないように感じる。(たまたま私が出会った先生がそういう傾向なだけかもしれないが…)

 

日本人ってテクニックあるけど音楽性がないよね、みたいな(そんなことは今の時代あり得ないし音楽性豊かな日本人演奏家は沢山いると思う)そんな典型的なセリフをイタリアに来て言われて結構ショックだった。

でも逆に言えばそれだけ教わってきたからテクニックを教えるのは私は比較的特異な分野なのかもしれない。

 

最終的に音楽は技術を見せるもので留まるものではない。表現のツールとして使いこなした上で自分の考える音楽をするものだと思う。

技術に振り回されたら本末転倒だが技術がなければ人を感動させることも自分の伝えたいことも伝わらない。

 

そしてプロを目指す若い子達とのレッスンでも人としてどう関係を築くかは大切だと思う。寧ろすでにしっかり意見を持った大人であり、教える側だったとしても彼らから他のアイデアを聞くのは私自身の勉強にもなる。

決して先生だから偉いとか自分の言うとおりにしなさいなんていうのはナンセンスだろう。

 

日本で教えた生徒が日本で行った演奏会に来て数年ぶりの再会になり、その子は本当に私を慕ってくれていて別れの時も泣きながら別れを惜しんでくれて、本当にいい生徒や親御さんに恵まれたと思う。

イタリアの生徒達もみんないい子で時に私が困ったときに助けてくれたり一緒にパーティーをして騒いだり、年がとても近いからレッスン以外では良き友達である。

 

先生として模範であらねばならないという訳でもなく、年相応に失敗したり格好悪い姿を見ても励ましてくれるそんなイタリアの友人であり生徒達に私はいつも救われている。