音の格言

イタリア在住のヴァイオリン弾きのブログです

移民局も機能していないということは

外国に長期に住んでいると必ずといって良いほど滞在許可証は必要である。

 

しかし現在イタリアの移民局は閉鎖している。

つまり滞在許可証の申請、更新が出来ないということだ。

 

外国人にとってはこれは大問題で、滞在許可証を定められた期間に更新しなければ不法滞在となる。

今回のコロナウイルスの件で移民局も閉まり、今回は滞在許可証期限切れ日90日後まで有効となった。

 

しかし再開後恐らく物凄く混むだろうし滞在許可証のカードの受け取りは申請してから6か月も待った事もある事を考えると次の更新は物凄く長い日数待つ事になるかもしれない。

 

滞在許可証のカードがないとイタリアの外に出るとまずい場合がある。

特に問題になるのはヨーロッパ内での旅行、またはトランジットである。

 

何度か滞在許可証をヨーロッパ内でのトランジットの際に確認されて、一度期限切れ(申請中でまだ新しいもの)の滞在許可証と更新中に手にする紙を見せて、まあ良いけどダメって言われる事もあるから気をつけてねで済ませられた事があった。

フランス経由で日本からイタリアに戻るときは滞在許可証をイタリアの家に置いてきてしまってどうしようと焦ったけれども特に見せるよう言われなかったので不幸中の幸いだった。滞在許可証を持っていないもしくは期限切れだと入国拒否される場合もあるから安心して旅行をしたければ新しい滞在許可証が届くまでは旅行を我慢するのが賢明かもしれない。

この辺の考え方は人それぞれだし、仕事で外に出なければならなければ職場が対処はしてくれるだろう。

 

イタリアの外に出ないにしても滞在許可証がないと仕事が出来ない場合もあるのでまだ私の滞在許可証は期限切れの猶予は十分にあるけれど正直不安ではある。

 

 

 

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外出禁止生活

もう外出禁止になってから結構な時間が経っている。

ついにイタリアで死者が一万人を超えたというからか、普段ほとんど連絡をしない姉からも心配の連絡が来た。

妊娠中の姉にまで心配されると思うとなんだか情けないと思ってしまう。

姉も元気そうなので一安心だけれど不安はぬぐい切れない。

 

うちの家族は基本的に連絡は頻繁にしない。姉に至っては一年に一、二回のレベルである。

元々年明けから母が体調を崩したこともあり連絡を取る機会は増えたが、姉は母と同居していないので連絡はどちらかと言うと母と同居している父と取ることが多かった。

今年は母入院から始まり今はコロナで全く身動きが取れない。この後もどうなるのかわからないし先が思いやられる。

 

今は家で料理に時間を費やしたり、こうしてブログを書いたり、音楽院の友達や職場の人と録音をして録画をしてやり取りしたり、家で出来る事を一通りしている。

 

昨日は久しぶりに日本にいたときにお世話になったイタリア語の先生やヴェネトにいる友人とスカイプで通話をした。

特にイタリア語の先生とは暫く連絡していなかったからこんな時間があるときしか落ち着いて話せなかったかもしれないと思うと少し気持ちも軽くなる。

音楽院の友達もいつ再開するのか、レッスンやオーディション、試験もある時期なのにその目途が全く立たないことに不安を感じている。

 

 

 

 

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イタリア在住の私に今起こっている事

久しぶりにブログの更新をする。

正直普段は他にやることが多くてブログの更新をする余裕がなく、この時間のある時にブログを書けたらと思う。

 

私の住む町はピエモンテ州トリノである。

現在イタリアで最もコロナウイルスの感染者の多いロンバルディア州の隣に位置している。

去年まではスカラ座アカデミーに在籍していたのでトリノとミラノを行き来していた。それほど私にはミラノは近い存在である。

 

私の職場であるオーケストラでは2月末、ミラノやコドーニョを中心としたロンバルディア州で感染者が急増した事を受けて2月最後の週の演奏会がキャンセルになった。

3月最初の週、演奏会は再開される予定だった。

職場では過去二週間にロンバルディア州に入ったか、体の状態等コロナウイルスに関わるであろう質問の用紙を記入させられ、問題なければ職場に入る事が出来た。

しかしそこから僅か二日で私の勤めるオーケストラは4月3日まですべての演奏会を中止することとなった。

 

オーケストラでは3月の第二週はスペインへの演奏旅行も予定していたがそれもキャンセルとなった。放送局のオーケストラなのでテレビ、ラジオでの放送予定の演奏会もキャンセルとなり、打撃は計り知れない。

閉鎖前の団員同士の最後の会議では他の問題も含め異例な長時間による会議となった。

 

未だ感染者は毎日3000、4000人は増えている。

実際私の知っている人も感染していたし、いつ我が身に降りかかるかもわからない状況である。

職場からは今のところ再開の延期は聞いていない。ようやく数日前から一日で増える感染者数のピークが過ぎたと言われたが、まだ感染者が毎日3000を超えている。

 

ニュースで報道される様な程大げさではないにしても、スーパーに行くと小麦粉が売り切れていたりパスタが品薄だったり普段よりもスーパーは品薄気味である。

一度に入店出来る人数も限られており、入店を待つ時も人とは1メートル以上距離を取る等してどこのスーパーも大きな列が出来ている。

テレビをつけてもどこもコロナのニュースばかりで、イタリア人がよく言うのは第二次世界大戦中でもこんな事は起こらなかった。

大戦中でも外出出来たしイベントも縮小はあったものの全てキャンセル、交通網も遮断なんてことはなかった。戦争より状況は深刻と言う。

 

学校は今年度いっぱい閉鎖の可能性もあるという。(イタリアの学校の年度は秋始まり)つまり秋まで学校にいけないかもしれないという事だ。

私の通う音楽院では試験はスカイプもしくは演奏の録音を提出等実技の試験の問題の対策をするそう。私の場合は単一コースのレッスンのみで試験等はないので特に問題はないが、特に室内楽など複数人で行うレッスン、授業や試験はスカイプだとタイムラグが発生するのでオンラインは不可能になる。

室内楽やオーケストラ等の授業は延期にせざるを得ないだろう。

 

いつ再開になるか未だわからない不安の中オーケストラの仲間と動画を作ったりレッスンをしたり、とりあえず今出来る事をこなすしかない。

好きなヴァイオリン奏者

私はヴァイオリン弾きなので演奏会もヴァイオリニストが主役の演奏会に行くことが比較的多いと思う。ここ数年はオペラやオーケストラを中心に鑑賞しているがヴァイオリンの国際コンクールのライブ配信を見たり関心はヴァイオリンにある傾向だ。

今回は私の憧れる、好きなバイオリン奏者を取り上げたい。

 

去年の暮か年明けあたりにfacebookで流れてきた投稿にある若いヴァイオリン奏者の演奏の動画が素晴らしく、そこから迷わず彼のディスコグラフィーを探して買うようになった。

勿論彼のyoutubeのチャンネルは登録済みである。

 

その若く才能に溢れた演奏家の名前は

オーガスティン・ハーデリッヒ Augustin Hadelich

 

その音色の美しさや洗練された音がまるでガラス細工の様だ。

テクニックは言うまでもなく完璧に等しいけれどただ技術を見せびらかすような単純な演奏にとどまらない。派手さがあるというよりかは堅実な演奏をするタイプで、品のある演奏をする。

 

彼のレパートリーが幅広い事も加えて私の関心を強くしてくれた。

過去に出したCDには現代曲を入れていたり、ギターとのデュオだったりと少し変わったプログラムにも取り組んでいる事が見受けられる。

 

残念ながらまだ生で彼の演奏を聴いたことがない。何せ演奏活動の範囲がアメリカやドイツが多く、イタリアにはあまり来ない様だ。

日本にも来るが生憎その時は私はイタリアにいる。

ドイツやイギリスくらいならヨーロッパ内なのでいつか行けたらと思うけれど、一番の希望としてはやはりいつかRAIにソリストとして来て欲しいかな…なんて

 

彼はドイツ人だが、生まれ育った場所はイタリアのトスカーナだとか。

家が農場で、15の時に農場の火事に巻き込まれて大やけどを負い数か月弾けなくなったがそれを乗り越え、その後さらに輝かしいキャリアを積むというなかなかドラマチックな十代を過ごしている。

 

彼のもっとも大きい功績はインディアナポリス国際コンクールでの優勝だろう。しかしそれだけにとどまらず、グラミー賞クラシック部門を獲得し、年を重ねるにつれてさらに輝きを増している演奏家と言えよう。

 

彼のこれまで出したCDのうち、特に私のお気に入りはやはりギタリストのパブロ・サインス・ビジェガスというこの人もまた有名なコンクールで過去に優勝したキャリアのある演奏家とのデュオのCDだ。

この中にピアソラのタンゴの歴史やファリャのスペイン舞曲などお洒落でかっこいい曲が収録されていて、ジャズ好きな人や普段クラシックを聴きなれていなくても聴きやすいのではと思う一枚だと思う。

 

彼は日本でも演奏しに来ており、何故今までこの人を知らなかったのだろうと寧ろ不思議で仕方ない。今後の彼の活動にもぜひ期待したい。

 

本物の男はリハーサルをしない

私がRAIのオーケストラの入団オーディションの半年ほど前にあるエッセイに出会った。

ボストン・ポップスオーケストラの元コントラバス奏者のジャスティン・ロック氏の

本物の男はリハーサルをしない

という本である。

 

プロの音楽家を目指す人には多くのヒント与えてくれるであろうこの本。

専門家でなくとも勿論楽しく読める。

オーケストラ奏者の日常や奏者視点からの演奏会だったり、普段知りえない音楽の世界を面白可笑しく書いている。

 

最も私がこの本に出会ったきっかけは、プロのオーケストラに入るためのヒントや体験談等をネット上で誰かかしらがネット記事やブログで書いてなかろうかと探していた時に検索でこの本の一部がヒットした事だった。

 

プロのオーケストラのオーディションは経験してきた人間はもちろんの事、狭き門で一つの枠に何百人と受験者が殺到するなんてざらである。

 

この著者自身はオーディションというより時代が数十年前という事もあって師匠のツテで候補リストに入り、仕事をしていく中で団員になったという。

彼自身ただの幸運な人なだけではない。

ある時ひたすら音階やアルペジオだけを毎日八時間練習した。

そして季節が終わるころにはどんな調の曲のどんなパッセージでも自由に弾けるようになったという。

 

ある日「練習しないのにどうしてこんな音符を弾けるの?」と尋ねられ、彼は「練習する必用なんかある?音はいつも同じ場所にあるんだよ」と言った。

 

その言葉を聞いた人はきっと驚いた顔をしただろうと想像できる。

 

彼の忍耐力は本当に素晴らしい。

その努力がいかに退屈なのかは彼が本で述べているし、特に音楽家ならそのことは理解しうるだろう。

 

そうした特に若いころの日々の努力がプロを目指すためには必要である。

私はそれを読んだことと、ある日わが師が音階の試験やろうかなあなんて恐ろしいことを言い出したのでカール・フレッシュの全ての音階を練習し始めた。

基礎の練習は確かにしんどかった。

特にヴァイオリン族の楽器は調号が増えるとその音階の難易度が増す。

楽器が弾けるのは才能があるとかないとか言うが、私は忍耐強く努力出来るかだと思う。忍耐力こそ才能ではないかと思う。

 

そういう意味で著者は音楽家にあるべき才能を持ち合わせた人だったのだろう。

 

そしてオーケストラ奏者は単に真面目な人よりかは他の事にも興味を持って人と関わる事が好きな人が多いようにも感じる。

彼の人生で出会った音楽家以外の話も面白い。

 

この本からプロのオーケストラ奏者になるヒントだったり、音楽が、オーケストラがいかに面白く楽しいものかを思わせられる。

 

ボストン・ポップス独自のルールや過去に起きた事件、彼のプロデュースしたコンサートの話は音楽に詳しくなくても興味深く読めるだろう。

 

音楽が好きな人、音楽をしている人にはぜひおすすめしたい一冊だ。

 

 

昔からなりたかったもの

三歳のころ、保育園で大きくなったら何になりたいかという事をテープに残した事があったそうだ。

一度高校生くらいの頃に母がどこからか見つけてきてその録音を二人で聞いた事がある。他の同じ年の園児の子達はお花屋さんやお菓子屋さん、中にはお姫様になりたいなんて子供らしい可愛い夢を語っていて微笑ましい。

私はその当時何になりたかったか。少なくとも三歳でヴァイオリンを始めてからほとんど揺るがなかった夢なので何となく私は想像できたがやはりその通りだった。

 

当時大阪に住んでいたのでバリバリの関西弁で

「大きくなったらヴァイオリンの先生になりたいです」

なんて言って言っていた。

 

そう、私は三歳の時からずっとヴァイオリンの先生になりたかった。

この保育園での録音は全くと言っていいほど記憶になかったが人に訊かれるたびにヴァイオリンの先生と言っていたのは忘れてはいない。

実際この夢を叶えたというかヴァイオリンを教えるようになったのは19歳の頃だった。

そこからもうすでに7年程経過している。

 

イタリアに来る前に音楽教室で教えていて、その後イタリアに来てから音楽院で室内楽のアシスタントとして特にヴァイオリンやヴィオラの子達に技術的なアドバイスをしていた。その時にたまたま私のアドバイスを気に入ってくれて個人的にレッスンに来てくれた子がいて、そこから私は何人かレッスンをするようになった。

 

日本の音楽教室で教えていた時は定期的だったが初めて間もない小さい子や趣味の人だった。勿論小さい子は熱心な子は本当に成長が早い。

しかし本当に練習を頑張れる子、あんまり練習が好きじゃない子だっていて、ただヴァイオリンを上達するという事が目的というよりかはお稽古事を通して音楽を楽しんだり練習するという先生との約束事を守るだとか、人として成長する糧の一つと捉えるべき面が多い。

趣味の人に対しても上手くなるだけでなく弾くことの楽しさやコミュニケーションをとっていくなかで人生がより豊かなものになる手助けをするべき面がある。まだ二十歳そこそこの経験の浅かった私はその事がわかっているつもりでやはり自分目線でかなり考えていた気がする。

 

今は音楽院に通っている子たちで、そのほとんどはプロを目指している。

勿論学校の試験の量は多いし他にもオーディションや演奏会等で弾くために様々な曲を用意する。

現在も私のヴァイオリンの先生のアシスタントの様な感じで先生の生徒をレッスンしている。

 

そんな中で、イタリアに来て私に初めて個人的にレッスンしてほしいと言って来てくれた女の子がいた。勿論彼女はイタリア人で私はとんでもなく拙いイタリア語しか話せない。それでもこれまで技術的な問題の解決のヒントを教えてくれたからテクニックの事を教えてほしいと言ってくれ、そこから現在に至るまで不定期ではあるが特に音楽院が長期休みになる期間に私の元へ来る。

私自身、イタリアに来てからの三年で多くの事を学んだ。

きっと少し前の私ならこんなレッスンはしなかっただろうというレッスンをするようにもなったと思う。

もともと基礎やテクニックは絶対揺るぎない必要要素だったから日本にいたころからそれは大切にしてきたし、今でも変わらない。

それでもイタリアで新しく学んだ練習法だったり考え方だったり、最も大きいのは音楽に対してどう考えアプローチするか考えるヒントを貰った事だろう。

 

基本的に私の元に来てくれる子達はテクニックや基礎を見てほしいという。何せ多くのイタリア人の先生はテクニックをじっくりレッスンする先生が多くないように感じる。(たまたま私が出会った先生がそういう傾向なだけかもしれないが…)

 

日本人ってテクニックあるけど音楽性がないよね、みたいな(そんなことは今の時代あり得ないし音楽性豊かな日本人演奏家は沢山いると思う)そんな典型的なセリフをイタリアに来て言われて結構ショックだった。

でも逆に言えばそれだけ教わってきたからテクニックを教えるのは私は比較的特異な分野なのかもしれない。

 

最終的に音楽は技術を見せるもので留まるものではない。表現のツールとして使いこなした上で自分の考える音楽をするものだと思う。

技術に振り回されたら本末転倒だが技術がなければ人を感動させることも自分の伝えたいことも伝わらない。

 

そしてプロを目指す若い子達とのレッスンでも人としてどう関係を築くかは大切だと思う。寧ろすでにしっかり意見を持った大人であり、教える側だったとしても彼らから他のアイデアを聞くのは私自身の勉強にもなる。

決して先生だから偉いとか自分の言うとおりにしなさいなんていうのはナンセンスだろう。

 

日本で教えた生徒が日本で行った演奏会に来て数年ぶりの再会になり、その子は本当に私を慕ってくれていて別れの時も泣きながら別れを惜しんでくれて、本当にいい生徒や親御さんに恵まれたと思う。

イタリアの生徒達もみんないい子で時に私が困ったときに助けてくれたり一緒にパーティーをして騒いだり、年がとても近いからレッスン以外では良き友達である。

 

先生として模範であらねばならないという訳でもなく、年相応に失敗したり格好悪い姿を見ても励ましてくれるそんなイタリアの友人であり生徒達に私はいつも救われている。

 

 

過去に読んだ本を読み返すか否か

月に数冊は必ず本を読んでいるのですが、以前友達と本の話をしたときに読み終えた本を読み返すかという話題になりました。

私は音楽関係の本や雑誌は何度も読み返すけれど、小説はあまり読み返しません。しかし小説は美しい言葉や素敵な表現、人生のヒントになる事が書かれていたりして、時に忘れられない言葉に出会えたりする。

 

そんな読書感想文というか忘備録として読んだ本を簡単に紹介出来る記事を残せたらと思い今回記事を書き始めました。

 

日本に一時帰国した際に小説を買ったり、実家には読書家の父が沢山本を買い、本棚においてあるのでその中から面白そうなのを選んでは持って行ったりしています。

私の読む本は父の本から選んでいた事が多かったのでかなり父の影響が強いと言えるでしょう。

 

さて、今回第一回目に紹介する本は

四月になれば彼女は

という川村元気著の作品である。川村氏といえば「世界から猫が消えたなら」という小説が有名で、おすすめの感動小説は?といえばかなりの高確率でその作品が取り上げられるほどの評価の高い作品を書いた方で有名でしょう。

その他に「電車男」「モテキ」「君の名は。」「天気の子」などの数多くのヒット映画の製作にも加わっており、小説の中でもその言葉の儚くも美しい表現は過去の映画を思い出させるような気もします。

 

この作品の主人公藤代は弥生という婚約者がいて、これから結婚するという頃に、かつての恋人から手紙が来たことからこの話は始まります。

 

このかつての恋人のハルの手紙は、彼女が旅した景色やそこで起こったことをふまえて藤代との過去を思い返すという短くも少し寂しさを感じる手紙でした。

登場人物として、

藤代 物語の主人公

ハル 大学時代の元恋人

弥生 藤代の婚約者

純  弥生の妹

大島 藤代とハルの大学のOB

 

このあたりの人物が物語の重要人物と言うべきでしょうか。

藤代とハルの過去に一緒に過ごした話はあるものの、物語中で彼らが会うことはなくて、最後の最後まで藤代がどう彼女を思って行動するのか先が読めなくてそこもドキドキしました。

 

この登場人物たちはそれぞれ自分の不安と向き合いそれに打ち勝てなかったり、自分や大切と思っていた人を信じきれなくてそれを後悔したり突然姿をくらましたり、一見普通そうな人達なのに破天荒な人ばかりだな、なんて思ってしまいました。

弥生が過去に何度か婚約を破棄したことや藤代との同棲から突然姿を消したこと、大島という大学のOBで藤代やハルのサークルにいた男もまた幸せそうな顔をしている時に自殺未遂をしたり、自分が幸せで悩むことも苦しむ必要もないとき程不安になって思いもよらない行動をするって意外とあり得るかもしれない。

 

物語の中で人間じゃないものと結婚した人の話があり、そこでイルカと結婚した人はもしかしたら永遠の愛を貫きやすいかもしれないと弥生と藤代は言います。意思の疎通が人間と同じように出来ないがゆえに性格の不一致とか価値観の違いで別れるということがないから案外いいかもしれないと。

これは弥生が人を愛し愛されるから時に辛くなったりするんだという遠回しな気持ちの表れだったのかなと思うけれど、最終的に藤代は友人の「人は誰の事も愛せないと気付いた時に孤独になるんだと思う。だってそれは自分を愛していないってことだから」という言葉に背中を押されたことで行動に出る。

この物語終盤でのハルの真実に切なくなったり、藤代がどうやって自分自身や婚約者と向き合っていくかという最後の最後まで目が離せなくなる結末にやはりこの作者は凄い人だと感じました。

 

でも最後読み終わったら何故だか暗闇のトンネルから抜け出し明るい日差しをあびたかの様な清々しい気持ちにもなりました。

 

話の中で使われる物や背景の描写がこの作品は美しく、そして緩やかでその独特な表現が作者の個性的で美しい世界観が生まれてくるのかと思います。