音の格言

イタリア在住のヴァイオリン弾きのブログです

一人で背負わないで

 

私がイタリアに来てから出会った人の中で、最も私にとって存在の大きい人というのは沢山いて、過去にもこれからもそんな人と出会い、成長の糧になると信じています。

私にとって最も存在が大きく、尊敬する人であり師匠でありながら、友達の様な人であるアドリアンという人の話を今後頻繁にすると思います。

 

今回は、最近あった彼との会話と最初の出会いの話をしようと思います。 イタリア、トリノの音楽院に入学した一年目にまず、室内楽の先生からピネロロのアカデミーの奨学生制度がある事を教えて貰ったのですが、音楽院で習っていた先生との兼ね合いで一年目は諦めてしまいました。

現在音楽院で習っているピエルジョルジョ先生とは異なる先生で、入学一年目はその先生から他の先生に習いに行く事を止められていました。 今思えばなんて勿体ない事をしたのだろうと思いますが…

 

同じ年に入学した他の子が正にそのピネロロアカデミーの奨学生で、一人はピアノの子で、私とずっとデュオで組んでいます。他には弦楽四重奏曲で一緒だったヴァイオリンのカザフスタン人の子もその制度でピネロロアカデミーで教えている我が師、アドリアンについていました。

トリノの音楽院のヴァイオリンの生徒で何人かアドリアンに習っていて、彼らからアドリアンが厳しいけれどとても良い先生だときいていましたが、実は最初はそこまでピネロロで勉強する事は余り興味はありませんでした。

 

トリノの音楽院は秋始まりで夏で年度が終わり、一年目が終わった夏に私はアドリアンと出会う事になります。 ピネロロアカデミーは夏、毎年講習会をバルドネッキアというフランス国境近くの街で行います。

室内楽の相方のピアノの子が、その講習会をトリオドビュッシーが行う室内楽のクラスで登録しようと誘ってくれて、そのついでにヴァイオリンのアドリアンのクラスも受けようかなという感じで登録したのが始まりでした。

思えば、ピアノの相方が誘ってくれなければ私はアドリアンの門下生になっていなかったのではと思います。

 

室内楽のトリオドビュッシーのヴァイオリンのピエルジョルジョ先生は現在私のトリノ音楽院でのヴァイオリンの先生で、ピアノのバレンティーノ先生は音楽院で室内楽のデュオを見てくれていた先生です。 ピエルジョルジョが何度かアドリアンに私の事を話していた様で、私が直接アドリアンに会う前に講習会中バルドネッキアで演奏会に出る様にアドリアンから電話が掛かってきたりした事も覚えています。

 

講習会でまず最初にレッスンを受けた時はショックで、こんな怖い先生の所に行きたくないというくらい打ちのめされました。 別に酷く怒ったりする様な訳でもなく、とにかく音楽をどう表現したいか、自分の中でどう演奏したいかを考えているか、最もな意見を彼は私に率直に述べたレッスンでした。

この年は大きな国際コンクールに挑戦する予定もあって、自分の中ではかなり練習していて、それでもアドリアンのレッスンの前ではその練習すら意味のない時間だった様に感じられてとにかく憂鬱な時間をバルドネッキアで過ごした事が忘れられません。 ただ、彼のレッスンは本当に有意義で、数少ないレッスンだったにも関わらず、そのレッスンのおかげで秋のコンクールでセミファイナルに残ったと思えるくらい私の意識を変えるレッスンでした。

 

そして、アドリアンの先生としてのイレギュラーな所も私にとって最初は受け入れ難かったというか、日本で生まれ育った私からするととにかくあり得なかったのでした。 まず敬語は使わないこと、レッスンでは先生と生徒だけど、それ以外の時間は音楽家として対等な立場でいる事、家族の様に何でも話す事など…

先生であり、親や親戚の様な人であり、友達の様な距離感で、だからこそ生徒に慕われているのだと思います。

彼に出会って最初は打ちのめされて自信をなくして、もうアドリアンのレッスン受けたくない、なんて思っていましたが、講習会以降も電話をくれたり、コンクールの前後に励ましてくれたりと、とにかく生徒を気にかけてくれる人です。

この先生の所にいたらもっと変われるのではないかと思う様になり、その年の秋(2年前)にピネロロのアカデミーの奨学生になりました。

その後もアドリアンに関する話はまだまだ尽きませんが、最近の話に戻ります。

 

去年1年はスカラ座アカデミーが主に多かったのですが、その他にもトリノ響、トリノ王立劇場のオケで弾く事もあり、とにかくオーケストラで弾く量がかつてなく膨大で、その合間にソロや室内楽をして、気が付いたら1年終わったという感じでした。 コンサートミストレスを経験したり、オーケストラとコンチェルトを演奏したり私にとっては勿論有意義な1年でした。

しかし、きちんと自分の目標を明確にして過ごせたかというと、目の前にあるものや与えられたものをこなすだけの事の方が多かったと思います。

 

先週、アドリアンのクラスの発表会で演奏し、その後に若干口論しかけて数日悩みました。

口論の内容は、今年はソロの勉強に専念できるかという事です。

そもそもアドリアンが私の煮えきらない態度にイライラしていたのはずっと前からわかっていました。 私は私でオーケストラの仕事を減らしてソロの勉強に専念する気持ちになれそうにないとか、弾ける自信がないのにソロをやるとか、とにかくソロを勉強する事に対して消極的な所は大学くらいからずっとあります。

 

ソロの曲を弾くのは寧ろ好きだし楽しいのですが、コンクールを受けたりというと話は違います。 確かに去年、彼からいくつかコンクールの提案をしてきて、受けようかな?とか言いながらも結局仕事をこなすのが精一杯でコンクールまでこなせる自信がなくて受けず仕舞いでした。

もう今年は逃さないと言わんばかりにオーケストラは許されるなら休んでコンクールを受けろと強く言われました。

彼のレッスンをオーケストラを理由に受けれなかった事が何度あったかと思うとなんて不誠実な生徒だと思います。 それでも私を見捨てる事も怒ることもせずに愛情を注いでくれる彼に感謝しています。

私がもう一度ソロをしっかり勉強すると約束したら、彼は「コンクールを受ける事はとても大変だしきっとしんどくなったり不安や悩む事が沢山あるけど、それも全部吐き出して一緒に背負ってあげるから一人で戦わないで」と言いました。

月並みな言葉でしか言えないけれど、やっぱりこの人とならもっと頑張れるかもしれないと思うし、本当に良い先生だと思います。

まだこれからも悩んだり自分の信念が揺らぐ事が何度もあるだろうと思いますが、その度に尊敬する人からの言葉を思い出したいと思います。

 

先日話した時のアドリアンからの言葉まとめ

いつか挑戦する、はいつまでたっても挑戦しないで終わるだけ

沢山のプログラムをこなすにはいつにどのくらいの曲を勉強するか予定を管理する事

コンクールは結果が出てしまうけど、重要なのは結果じゃなくて、君がどこまで良い演奏をして、音楽家として成長出来るかだ

沢山練習するだけを美徳としない事

音楽は常に芸術であり、技術的な事に囚われ過ぎて音楽の本質を見失っては本末転倒である