音の格言

イタリア在住のヴァイオリン弾きのブログです

遊びながら音楽

私の家族や親戚で音楽家どころか音楽をやっている、やった事のある人は母と姉くらいしかいない。
それも母はアマチュアのオーケストラ等で若い頃弾いていたが私達姉妹が10歳かそれくらいの頃に辞めてしまった。そして最近になって再び市民オーケストラで弾いており楽しそうにしている。
姉は大学受験のタイミングでピアノを辞めてしまいそれっきりである。
クラシック音楽に対する家族の関心は母が強いくらいで父は全くわからなければ興味もなく、姉は好きだが私や母の様に情熱を注ぐ程ではない。
それでも姉が普段聴いているCDは葉加瀬太郎ドビュッシーのピアノ小品集だったりするからクラシックは好きなのだろう。

母が若い頃から買い溜めたクラシック音楽のCDが幼い頃から家にあり、それを聴いて楽しんでいた思い出がある。
特にお気に入りだったのはサン=サーンスの動物の謝肉祭。姉と一緒にぬいぐるみや家にあるものを使って音楽に合わせて踊ったり物語を作って遊ぶ遊びがお気に入りだった。

曲名を知らなかったとしても、どんな経緯で曲が生まれた知らなくても聴いて素敵だと思えばそれでいいのではなかろうか。
勿論演奏する側はそうはいかないけれど、それでもテクニックやこうしなければいけないという使命感に駆られすぎて音楽を心や身体で感じて楽しむ事を忘れてしまうのは本末転倒だろう。
音楽的な知識や技術を身に着けながらも幼い頃と変わらず音楽を楽しいと思いながら演奏を続けたい。

教育のシステム

今日、先生と音楽の教育システムについてちょっとお話をして、それが中々興味深かったのでこちらで書きたいと思います。

今日は音楽院でピエルジョルジョ先生のレッスンを急遽他の子と日程を交換して受ける事になり、以前弾いたとはいえ随分前に弾いた譜読みしなおしたての曲を持っていきました。
曲はバルトークだったのですが
「アジア人のヴァイオリニストってバルトークとかストラヴィンスキーとか凄く上手に弾くよね。君もそのタイプの一人だと思うんだけど、やっぱりエキゾチズムみたいな文化なのかな、面白いね。」
なんて先生は言っていました。

確かにバルトークはずっとハンガリールーマニアの民謡の研究を行っていて、その民謡はアジアっぽさも感じられるし彼の作品の中にもその民謡のメロディーを思わせるものが多いし確かに我々アジア人からすると親近感が湧くのではと思います。

日本だと比較的若いうちにショスタコーヴィチバルトーク等の複雑なコンチェルトを勉強するけど、逆にブラームスソナタなんかはそれらコンチェルトを弾き終えたくらいに始める事が一般的…なんて話をしました。
そうじゃない場合も勿論ありますが、高校の時、ある先生がまだ色んな曲にも触れず経験の浅い10代がブラームスソナタなんて弾こうものなら鼻で笑ってやる、なんて言っていたのを覚えています。
勿論10代でベートーヴェンブラームスを本当に素晴らしく弾く人もいるのでそういう人はその音楽を若いなりに研究して高い完成度で練り上げているのでしょう。
ただ、一般的にテクニックも音楽の基礎も確立されていないのに楽譜が比較的シンプルだからという理由で取り組むにはブラームスは難し過ぎるという事も一理あります。

イタリアのヴァイオリンの曲の進め方は、ベートーヴェンブラームスソナタを弾いてからヴェニアフスキやパガニーニのコンチェルトやカプリスをやるから日本とは逆に感じます。
テクニックや基礎をやってから音楽的内容の深いものを学ぶという日本のシステムは合理的とも言えます。

先生は、イタリアの音楽院はコンクールで優勝したりソリストを育てる場所には向かないけれど音楽家として生きていく為に室内楽やオケスタをソロと同じかそれ以上にやらせているといえると言っていました。
確かに先生の時代は難しいテクニックの曲を勉強する事に時間をかなり費やした生徒が多かったけど今は難しい曲を弾かせないし、ソロが弾けても室内楽やオーケストラで弾けなければ多くの生徒が生きていけなくなるからシステムを変えたとも言っていました。
どんな教育のプログラムがいいかはわかりませんが、室内楽やオーケストラを積極的にする事でソロでも役に立つし、実際音楽院でやった事は自分の成長に繋がってくれていると思っています。

どんな教育システムがいいなんて断言出来ないし、人によって成長段階も違えば関心も違うので、その人にあうシステムで勉強出来れば一番いいねって話でした。

オペラ劇場とバレエ

バレエに詳しくなくてもローザンヌ国際バレエコンクールはご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そのローザンヌのコンクールが昨日まであり、コンクールの動画をいくつか見ていました。

オペラやバレエを観るたびに、表現のツールは違えど、一流と呼ばれる人達のレベルの高さやどの様に表現しているか、心を揺さぶられる様な魂の籠もったものを感じて、私もヴァイオリンで彼らの様に心を揺さぶる表現はどうすれば出来るのかと思います。



スカラ座アカデミーに入るまでバレエ公演にオーケストラで弾く事がなかったのでバレエの事は全然知らなかったし観ることも滅多になかったので関心が薄かったのですが、バレエ公演にはコンサートマスターとして何度か演奏するうちにバレエに興味を持つようになりました。
バレエの音楽はヴァイオリンのソロが入っている事が多く、コンサートマスターは結構活躍する場があります。

それもあって、自分達が公演する演目の曲を観たりしていくうちに、他のバレエ作品も気になって時間がある時に色々と見ています。
イギリスのロイヤルバレエがお気に入りで、特に日本でも公演が行われた、アリス・イン・ワンダーランドが凄く好きです。
イカれ帽子屋のタップダンスとバレエの混ざった踊りが素敵で、元々タップダンスもやってきた、過去にローザンヌのコンクールで優勝したマクレイの為の踊りにみえました。

スカラ座アカデミーではバレエ公演でザハーロワやボッレ等、バレエの大スターがキャストでいらしていて、本当に貴重な経験をさせて頂きました。
何度も動画とかでみたザハーロワを近くで見た時は、本当に綺麗で可愛い人でした。

日本にいた時はオペラやバレエをオーケストラでやる事は本当に数える程しかなかったのですが、やはりイタリアはバレエとオペラが産まれた地。(実はバレエも発祥はイタリアなんです)
トリノでもミラノでも、他のどの街にも劇場があって、オペラやバレエの公演が行われていて、舞台芸術という存在がより身近に感じます。

他の楽器や歌や踊りからも沢山のインスピレーションを貰えるこの環境に感謝しながら表現の方法を考えていきたいと思います。

一人で背負わないで

 

私がイタリアに来てから出会った人の中で、最も私にとって存在の大きい人というのは沢山いて、過去にもこれからもそんな人と出会い、成長の糧になると信じています。

私にとって最も存在が大きく、尊敬する人であり師匠でありながら、友達の様な人であるアドリアンという人の話を今後頻繁にすると思います。

 

今回は、最近あった彼との会話と最初の出会いの話をしようと思います。 イタリア、トリノの音楽院に入学した一年目にまず、室内楽の先生からピネロロのアカデミーの奨学生制度がある事を教えて貰ったのですが、音楽院で習っていた先生との兼ね合いで一年目は諦めてしまいました。

現在音楽院で習っているピエルジョルジョ先生とは異なる先生で、入学一年目はその先生から他の先生に習いに行く事を止められていました。 今思えばなんて勿体ない事をしたのだろうと思いますが…

 

同じ年に入学した他の子が正にそのピネロロアカデミーの奨学生で、一人はピアノの子で、私とずっとデュオで組んでいます。他には弦楽四重奏曲で一緒だったヴァイオリンのカザフスタン人の子もその制度でピネロロアカデミーで教えている我が師、アドリアンについていました。

トリノの音楽院のヴァイオリンの生徒で何人かアドリアンに習っていて、彼らからアドリアンが厳しいけれどとても良い先生だときいていましたが、実は最初はそこまでピネロロで勉強する事は余り興味はありませんでした。

 

トリノの音楽院は秋始まりで夏で年度が終わり、一年目が終わった夏に私はアドリアンと出会う事になります。 ピネロロアカデミーは夏、毎年講習会をバルドネッキアというフランス国境近くの街で行います。

室内楽の相方のピアノの子が、その講習会をトリオドビュッシーが行う室内楽のクラスで登録しようと誘ってくれて、そのついでにヴァイオリンのアドリアンのクラスも受けようかなという感じで登録したのが始まりでした。

思えば、ピアノの相方が誘ってくれなければ私はアドリアンの門下生になっていなかったのではと思います。

 

室内楽のトリオドビュッシーのヴァイオリンのピエルジョルジョ先生は現在私のトリノ音楽院でのヴァイオリンの先生で、ピアノのバレンティーノ先生は音楽院で室内楽のデュオを見てくれていた先生です。 ピエルジョルジョが何度かアドリアンに私の事を話していた様で、私が直接アドリアンに会う前に講習会中バルドネッキアで演奏会に出る様にアドリアンから電話が掛かってきたりした事も覚えています。

 

講習会でまず最初にレッスンを受けた時はショックで、こんな怖い先生の所に行きたくないというくらい打ちのめされました。 別に酷く怒ったりする様な訳でもなく、とにかく音楽をどう表現したいか、自分の中でどう演奏したいかを考えているか、最もな意見を彼は私に率直に述べたレッスンでした。

この年は大きな国際コンクールに挑戦する予定もあって、自分の中ではかなり練習していて、それでもアドリアンのレッスンの前ではその練習すら意味のない時間だった様に感じられてとにかく憂鬱な時間をバルドネッキアで過ごした事が忘れられません。 ただ、彼のレッスンは本当に有意義で、数少ないレッスンだったにも関わらず、そのレッスンのおかげで秋のコンクールでセミファイナルに残ったと思えるくらい私の意識を変えるレッスンでした。

 

そして、アドリアンの先生としてのイレギュラーな所も私にとって最初は受け入れ難かったというか、日本で生まれ育った私からするととにかくあり得なかったのでした。 まず敬語は使わないこと、レッスンでは先生と生徒だけど、それ以外の時間は音楽家として対等な立場でいる事、家族の様に何でも話す事など…

先生であり、親や親戚の様な人であり、友達の様な距離感で、だからこそ生徒に慕われているのだと思います。

彼に出会って最初は打ちのめされて自信をなくして、もうアドリアンのレッスン受けたくない、なんて思っていましたが、講習会以降も電話をくれたり、コンクールの前後に励ましてくれたりと、とにかく生徒を気にかけてくれる人です。

この先生の所にいたらもっと変われるのではないかと思う様になり、その年の秋(2年前)にピネロロのアカデミーの奨学生になりました。

その後もアドリアンに関する話はまだまだ尽きませんが、最近の話に戻ります。

 

去年1年はスカラ座アカデミーが主に多かったのですが、その他にもトリノ響、トリノ王立劇場のオケで弾く事もあり、とにかくオーケストラで弾く量がかつてなく膨大で、その合間にソロや室内楽をして、気が付いたら1年終わったという感じでした。 コンサートミストレスを経験したり、オーケストラとコンチェルトを演奏したり私にとっては勿論有意義な1年でした。

しかし、きちんと自分の目標を明確にして過ごせたかというと、目の前にあるものや与えられたものをこなすだけの事の方が多かったと思います。

 

先週、アドリアンのクラスの発表会で演奏し、その後に若干口論しかけて数日悩みました。

口論の内容は、今年はソロの勉強に専念できるかという事です。

そもそもアドリアンが私の煮えきらない態度にイライラしていたのはずっと前からわかっていました。 私は私でオーケストラの仕事を減らしてソロの勉強に専念する気持ちになれそうにないとか、弾ける自信がないのにソロをやるとか、とにかくソロを勉強する事に対して消極的な所は大学くらいからずっとあります。

 

ソロの曲を弾くのは寧ろ好きだし楽しいのですが、コンクールを受けたりというと話は違います。 確かに去年、彼からいくつかコンクールの提案をしてきて、受けようかな?とか言いながらも結局仕事をこなすのが精一杯でコンクールまでこなせる自信がなくて受けず仕舞いでした。

もう今年は逃さないと言わんばかりにオーケストラは許されるなら休んでコンクールを受けろと強く言われました。

彼のレッスンをオーケストラを理由に受けれなかった事が何度あったかと思うとなんて不誠実な生徒だと思います。 それでも私を見捨てる事も怒ることもせずに愛情を注いでくれる彼に感謝しています。

私がもう一度ソロをしっかり勉強すると約束したら、彼は「コンクールを受ける事はとても大変だしきっとしんどくなったり不安や悩む事が沢山あるけど、それも全部吐き出して一緒に背負ってあげるから一人で戦わないで」と言いました。

月並みな言葉でしか言えないけれど、やっぱりこの人とならもっと頑張れるかもしれないと思うし、本当に良い先生だと思います。

まだこれからも悩んだり自分の信念が揺らぐ事が何度もあるだろうと思いますが、その度に尊敬する人からの言葉を思い出したいと思います。

 

先日話した時のアドリアンからの言葉まとめ

いつか挑戦する、はいつまでたっても挑戦しないで終わるだけ

沢山のプログラムをこなすにはいつにどのくらいの曲を勉強するか予定を管理する事

コンクールは結果が出てしまうけど、重要なのは結果じゃなくて、君がどこまで良い演奏をして、音楽家として成長出来るかだ

沢山練習するだけを美徳としない事

音楽は常に芸術であり、技術的な事に囚われ過ぎて音楽の本質を見失っては本末転倒である

覚え書きとして

これまであった事、日々の出来事を書き残す事で、自分の頭や心を整理出来るんじゃないかなと思いブログをはじめました。

イタリアには留学で来ていますが、ここ最近は学校で勉強したりする時間が少なく、演奏活動がとにかく多くてそれをこなすだけでいっぱいいっぱいになっています。
音楽院の先生は私が外で活動したり仕事を多くしていても余り干渉しないし、寧ろ活躍出来るなら喜ばしいと応援して下さっています。
音楽院以外でも奨学生として在籍しているピネロロのアカデミーの先生とは数日前色々話して、主に仕事と勉強のバランスについて見つめ直す時間になりました。勿論アカデミーの先生も、私が仕事をする事を応援して下さっているけれど、せっかく勉強するチャンスがあるなら仕事は程々にしてもう一度しっかり学んで成長する時間を作るべきではという意見です。また後程この話題は別の記事で書こうと思います。

過去に悩んだ事、今も悩んでいる、迷っている事も隠さずに書いてしまおうと思います。

暫くは過去の話とかが多いかもしれません。イタリアで起こった身の周りの出来事を中心に色々書いていきます。